鎖を解かれたメテウス

映画とか海外ドラマの感想を吐き出すブログ。たまにゲーム

2014年新作映画個人的ベスト10

【2014年新作映画個人的ベスト10】

それでも夜は明ける

ウォルト・ディズニーの約束

キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー

グランド・ブダペスト・ホテル

ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー

猿の惑星:新世紀

リアリティのダンス

プリズナーズ

インターステラー

誰よりも狙われた男

 

 観た順に並べました。特に順位とかはつけません、というかつけられない。以下は各作品に対する雑感です。

 

それでも夜は明ける 

 “人はどこまで残酷になれるのかという疑問と、どこまでもという答え”という文句が、この作品が収録されたスティーヴ・マックィーン BOX付録のブックレットに書かれてあったのが印象的。その疑問と、それに対する(解決には決してならない)答えとを静かに淡々と見せるのがスティーヴ・マックィーンという監督の作品に共通する精神なのだと私は考えている。そのため、作中の人物たちがどんなに酷い目に遭おうとも、どんなに残虐な行為をしようとも、過度に同情を誘うこともなければ怒りも沸かない。ドキュメンタリー作品でさえ製作者の「これを見て、こういう気持ちになってほしい」という思いが伝わってくることが多いが、マックィーン監督の作品にはそういった「用意された模範回答」というものが存在しないように感じるのだ。共感することで見えるものもあるが、逆に距離を置くことで見えるものもまた多く、彼の作品は後者に属するものなのだろうと思う。

 

ウォルト・ディズニーの約束

 名作『メリー・ポピンズ』の原作者P.L.トラヴァースの、作品を書くに至った子供時代の記憶についての物語。今年は『アナと雪の女王』『マレフィセント』とディズニーが過去世に出してきたおとぎ話の価値観を大幅に更新・語り直す作業が行われていたが、この映画はその「おとぎ話の紡ぎ手」側の秘めた心情を明かす。過去の思い出を幸せなものとしたかった切望と現実の溝の深さに泣かずにはいられない。親という生き物との向き合い方がわからない私にはとても痛い映画だった。

 

キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー

 大戦が終結し、9.11で自国の大義たる正義の全能感・絶対的な自信も崩落した今日のアメリカにおいて、戦争のヒーローたる「キャプテン・アメリカ」という存在は時代遅れの道化でしかない。そう思っていたが、この作品の出来はどうだろう。前作『ファースト・アベンジャー』の要素を巧みに利用し、アップデートされてもなお変わらない今作におけるスティーヴ・ロジャースの示す正義のあり方は、とても正しいものだと、信じたいと思わされる。

 

グランド・ブダペスト・ホテル

 ウェス・アンダーソン監督の作品はますます彼らしさに磨きがかっていっている。計算しつくされたコミカルな挙動、美術、物語、どれをとっても彼以外には作れない唯一無二のものだ。私は彼の作品に対してあまり語れる言葉がない(それより観てもらった方が早いしわかりやすいだろうと思う)が、本当に好きな作品。

 

ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー

 以前記事を書いていたので感想はこちらで→『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』感想 

 

猿の惑星:新世紀(ライジング)

 今作の監督マット・リーヴスは『クローバーフィールド/HAKAISHA』の監督ということもあり、ここぞというところで使われる一人称視点のカメラが高揚感を引き上げる。人間に近づく際に、人間的知性を得る前に仕込まれたであろう「人間の喜ぶ芸」を使い、また人間が去った瞬間に憎悪の表情に切り替わるコバに圧倒された。今作はシーザーとコバによる、聖書における人間が初めて犯す罪、兄弟殺しの物語であり、カインとアベルの物語を社会形成をして間もない猿に負わせることで、この物語の本質は人間とは異なる猿の話と切り離せるものではなく、どこまでも人間の物語なのだということを思い出させてくれる。

 

『リアリティのダンス』

 ホドロフスキーの作品初鑑賞。色々とビジュアル面でビビらされたが、それでもこの作品の描きたいもの、伝えたいことはわかる。罪と赦しの物語。

 

プリズナーズ

 表面の物語だけならば難解なことはないのだが、キリスト教的モチーフに溢れている作品なので伏線の張り巡らされ方、そして何より最後に「彼」が辿る運命について考えたいことが多く、何度も観返した。信仰のあり方の違いが理屈の違いになる、上質のスリラー。

 

インターステラー

 これも以前記事を書いていたので感想はこちらで→【ネタバレ】『インターステラー』感想―Rage, rage, against the dying of the light

 

誰よりも狙われた男

 今年最後に劇場で観た作品。主人公ギュンター・バッハマンを演じるのは故フィリップ・シーモア・ホフマン。これが彼が主役を務めた最後の映画である。

 バッハマンはドイツのハンブルクでテロ対策チームを率いているスパイで、どうやら過去の失態がもとでこの地に飛ばされたらしい。失墜を経験した為であろう、彼は冗談を飛ばす時でさえ声は乾ききっているし、その目は少しも笑っていない。ただ今向き合っている件の成功だけを優先している。そんな彼が、それまでの濁った目をまるで少年かのようにきらりと幼く光らせる瞬間がある。その一瞬の変化は凄まじいとしか言い様がなく、こんな演技は今まで見たことがないとも思った。故に物語の収束する後半、この先に安堵が待ち受けていると思える淡い希望の感覚を抱けたこと―――そしてそんな希望に物語が与える結末と咆哮は―――誰の目と耳にも焼き付くことだろう。